報告会は、主催者である足立慶司レスリング部OB会長の挨拶から始まり、拓殖大学岡戸巧理事長、吉岡光男拓殖大学学友会副会長より祝辞がありました。
続いて、高谷大地選手より、パリオリンピックの出場が決定した際の喜びや銀メダルを獲得した時の気持ち、感動とともにこれまでの対戦相手や応援くださった方への感謝の言葉が述べられました。
レスリング部長の西口茂樹国際学部教授からはレスリング部への支援に対しての謝辞がありました。
報告会の中では、拓殖大学レスリング部の出身で歴代オリンピック代表選手・世界選手権メダリストの紹介があり、レスリング部から、今後もオリンピアンが誕生する期待が寄せられました。
高谷大地選手に聞きました。
Q1.高谷さんは、2013年京都府立網野高等学校(現・京都府立丹後緑風高等学校)から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A2.学生時代はレスリングを中心に生活できるよう学業も要領よくこなしていました。1年生の頃はよく先輩に勝てず泣きながら取り組んでいたのを覚えています。寮ではとにかく部屋を綺麗に保とうと奮闘しておりました。
Q2.2017年に卒業後、自衛隊体育学校へ進まれ、全日本選手権、世界選手権で活躍され、このたびのパリオリンピックでは、男子フリースタ74㎏級で銀メダルを獲得されました。改めて、オリンピック出場が決まった気持ちや、試合、銅メダルを獲得したときの気持ちをお聞かせください。
A2.世界選手権で銅メダルを獲得した時はここまでの努力は無駄じゃ無かったことや、今までの辛かった事や、レスリングに捧げた時間などの多くの思いが爆発した瞬間でした。コーチと抱き合った時は喉が枯れるほど叫んだことを思い出します。
パリ五輪でメダルを確定させた時、このようなことがあり得ていいのかという思いと、兄と共に歩んできたここまでの道のりがやっと形となって残すことが出来たという安心感が湧き出ました。決勝では負けてしまいましたが、ここまでの道のり、対戦してくれた選手、ここまで付いてきて、協力してくれた方々への感謝の気持ちしか湧き上がってきませんでした。
Q3.パリ五輪が終わり、その後の反響やメダルを獲得する前と後で何か変わったことはありますか。
A3.未だに慣れませんが、メダリストとしてたくさんの人から多くの言葉を頂き、メダルを触ったり掛けたりしていただき、その中で涙を流してくれる方々もいて、スポーツの素晴らしさを実感しました。この力をさらに多くの方々に届けたいと思いました。
Q4.今後の目標をお教えください。
A4.今後身体の動く限りレスリングに取り組んでいきながら、今直面しているレスリングやスポーツに対しての関心が薄れている今、スポーツの力を皆さんの活力にできるようなそんな活動をしていきたいなとおもっています。
Q5.後輩(拓殖大学レスリング部学生)へのメッセージをお願いします。
A5.過程や頑張りより結果が重要なこの世の中で活動することは大変です。自分が何になりたくて、何をしたいのか、その為には何が必要なのか、そういったことを自分で考え、行動する、そうすればいつの間にか同じ志で行動してくれる人が助けてくれます。自分の中にブレない軸を作り、日々活力を持ってたくさん行動して、沢山失敗して、そうして前に進んでいって欲しいと思います。
報告会で現メダル獲得の報告をする高谷大地選手
出席者からのメッセージ
出席して頂いたレスリング部OBに伺いました。
高谷惣亮氏(レスリング部監督)
Q1.高谷監督は、2008年京都府立網野高等学校(現・京都府立丹後緑風高等学校)から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A1.私の学生時代は、レスリングの練習と授業への出席で大変だった記憶があります。これまでは実家からの通いだったのが、寮生活へと変わったので多少緊張していました。しかし、高校時代でも勉学とスポーツを両立していたので、単位の取得も早々にクリアし、大学でのレスリングの成績もほぼ負け無しの大学時代でした。今思い返しても充実した4年間でした。
Q1.高谷監督は、2008年京都府立網野高等学校(現・京都府立丹後緑風高等学校)から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A1.私の学生時代は、レスリングの練習と授業への出席で大変だった記憶があります。これまでは実家からの通いだったのが、寮生活へと変わったので多少緊張していました。しかし、高校時代でも勉学とスポーツを両立していたので、単位の取得も早々にクリアし、大学でのレスリングの成績もほぼ負け無しの大学時代でした。今思い返しても充実した4年間でした。
A2.オリンピックはテレビ放送されるような華やかで、誰もが注目する舞台のイメージがあると思います。私は3大会を経験して感じたことは、なんてドロドロしていて苦しい場所なんだということです。多くの競技から選手が代表に選ばれ、それでもメダルを獲得できるのは少数です。メダルを取った選手の言葉は華やかなものです。しかし負けた多くの選手の言葉は世間へは流れません。オリンピックには光と影があります。だからこそ選手は努力を続けるのでしょう。
Q3.今回のパリオリンピックでは、高谷大地選手が男子フリースタイル74㎏級で銀メダルを獲得されました。監督にとって大地さんは後輩であると同時に弟さんでもあります。お兄さんからみた高谷選手の人柄やこのたびの結果などについて感想をお聞かせください。
A3.私から見た弟の姿はいつまでたってもかわいい弟です。昔から周りが驚くほど仲が良く、合宿ではいつも同じ部屋でしたしご飯を食べるときも一緒、練習前の雑談も普段の生活での会話も他愛もないものでした。私の姿を自身の経験に変えるという作業は生半可な覚悟ではできないものです。私には目標とする指針がなかったので自身で手探りでしたが、大地はその指針を頼りに自身の糧とし道を切り開いたのです。勉強もあまり得意ではなかったのですが、自分から好奇心を持って取り込む姿勢や、謙虚でありながら大きな希望を見せてくれる姿は私の自慢の弟です。
Q4.パリオリンピックの前後でレスリング界に変化はありましたか。また、今後レスリング界に期待することは何ですか。
A4.パリオリンピックでは多くの金メダリストが誕生しました。これらメダリストの人たちは昔と比べて積極的にメディア出演や講演を行っています。一過性のものにせず、継続して世間にアピールをしていくことの必要性を感じているのかなと思います。私は以前よりレスリングの注目度を高めるためにピエロになったりもしましたが、やはりオリンピックでの活躍とは注目度は違いますね。
今後のレスリング界は大変になると思います。今回の結果は言うなれば、史上最高の結果になります。正直なところ、この結果を超えるのは難しいと思います。なので、そこを意識するのではなく引き続き選手が活動しやすい環境と練習を行っていくことを期待しています。
Q5.監督ご自身、また、拓殖大学レスリング部の今後の目標をお教えください。
A5.自身の目標は戦える内は後輩達にその姿を見せていきます。その結果が拓殖大学レスリング部の活躍に繋がると思います。現在のレスリング部は人数が少ないですが、来年度には有力選手が多く入ってきます。2年後に団体優勝、そして後のオリンピック選手輩出を目標に精進して参ります。
Q6.監督として、拓殖大学レスリング部の学生へメッセージをお願いします。
A6.普段は温厚ですが、社会規範やルールには厳しく指導していきます。頑張った選手は必ず未来が明るいです。限界まで追い込んでから本当の戦いが始まります。
米満達弘氏
Q1.米満さんは、2005年山梨県立韮崎工業高等学校から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A1.部活、学業共に毎日全力で取り組んでいました。特に部活のことは時間があれば常に考えていました。
Q1.米満さんは、2005年山梨県立韮崎工業高等学校から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A1.部活、学業共に毎日全力で取り組んでいました。特に部活のことは時間があれば常に考えていました。
A2.オリンピックで金メダルを獲得することは特別な人間しかできないことだと思っていましたが、自分が金メダルを獲得したときには努力と工夫次第でとれるんだなと感じました。
Q3.当時、あらゆる競技を通じて山梨県出身の個人競技の選手でオリンピックのメダルを獲得した選手としては、初めてだったそうですが、反響はいかがでしたか。
A3.正直なところ、反響は特にありませんでした。
Q4.今回のパリ五輪では、高谷大地選手が男子フリースタイル74㎏級で銀メダルを獲得されましたが、米満さんは、日本選手団の男子レスリングフリースタイルのコーチとして同行されました。高谷選手の人柄やこのたびの結果などについて感想をお聞かせください。
A4.練習の時から生活面も含め、勝つために非常に努力していた選手なので、メダルを獲得した時はしっかり努力が報われ嬉しく感じました。
Q5.今後の目標をお教えください。
A5.高谷選手のように、オリンピックで活躍できる選手を育てたい。
Q6.後輩(拓殖大学レスリング部学生)へのメッセージをお願いします。
A6.充実した学生生活を過ごしてもらいたい。
湯元進一氏
Q1.湯元さんは、2003年和歌山県立和歌山工業高等学校から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A1.大学1.2年生時は文京キャンパス内に体育寮があり、授業がある八王子キャンパスへ毎日2時間かけて通っていました。その当時、1年生は朝5時には起きて掃除洗濯をこなし、朝練習。終了後、八王子キャンパスへ向かい、授業が終わったら練習の為、文京キャンパスに戻るという、慌ただしい1日を過ごしていた事を思い出します。
Q1.湯元さんは、2003年和歌山県立和歌山工業高等学校から拓殖大学政経学部経済学科へ進学されました。ご自身の学生時代の様子をお聞かせください。(レスリング部での練習、寮生活、学業など)
A1.大学1.2年生時は文京キャンパス内に体育寮があり、授業がある八王子キャンパスへ毎日2時間かけて通っていました。その当時、1年生は朝5時には起きて掃除洗濯をこなし、朝練習。終了後、八王子キャンパスへ向かい、授業が終わったら練習の為、文京キャンパスに戻るという、慌ただしい1日を過ごしていた事を思い出します。
Q2.2007年に卒業後、自衛隊体育学校へ進まれ、全日本選手権、世界選手権で活躍され、2012年のロンドンオリンピックでは、男子フリースタイル55㎏級で銅メダルを獲得されました。そのときの状況をお聞かせください。(オリンピック出場が決まった気持ちや、試合、銅メダル獲得後の様子など)
A2.レスリング男子軽量級は金メダル獲得が使命だと思っていました。銅メダルを獲得した直後は、このメダルに何の価値があるのか?と悩みましたが、ロンドン大会から帰国後、様々な方から祝福の言葉などをかけていただきました。このメダルの価値は、私を応援してくれた方々、指導してくれたコーチ、サポートしてくれた方々を笑顔にできるメダルなんだと気付かされました。
Q3.今回のパリ五輪では、高谷大地選手が男子フリースタイル74㎏級で銀メダルを獲得されましたが、高谷選手の人柄やこのたびの結果などについて感想をお聞かせください。
A3.高谷大地選手は誰よりも練習して、誰よりも高い志を持った選手です。メダルを獲得するのは当たり前。どの色のメダルを獲得するか期待していました。高谷大地選手は応援(ファン)してくれる方を大切にします。また、レスリングの魅力を発信する事、競技人口拡大の為、非常に尽力してくれています。
Q4.今後の目標をお教えください。
A4.自衛隊体育学校レスリング班監督として4年後のロサンゼルスオリンピックに高谷大地選手に継ぐメダルを獲得させる事です。我々レスリング班の仲間にはたくさんの拓大OBが在籍しております。その選手の中から次のメダリストが出てくれれば言うことありません。
Q5.後輩(拓殖大学レスリング部学生)へのメッセージをお願いします。
A5.「好きこそ物の上手なれ」レスリングを大好きになってください。好きだから、探究心を持って取り組める。好きだから厳しい練習にも耐えられます。
私を含めた先輩達は君達を全力で応援しています。